高松地方裁判所 昭和52年(ワ)265号 判決 1980年7月31日
原告
梶マサコ
被告
香川県
ほか一名
主文
一 被告松木富三郎は原告に対し、五五八万七九〇三円及びこれに対する昭和五二年一〇月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告松木富三郎に対するその余の請求及び被告香川県に対する請求を棄却する。
三 訴訟費用は、原告と被告松木富三郎との間においては原告に生じた費用の三分の一を被告松木富三郎の負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告香川県との間においては全部原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、かりに執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは原告に対し、各自六二八万円及びこれに対する昭和五二年一〇月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁(被告共通)
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 (不法行為)
(一) 被告松木は、昭和四九年九月三〇日午後五時二五分ころ大型貨物自動車(以下、松木車という。)を運転して香川県観音寺市観音寺町甲一七九三番地岡田石油給油所先交差点(以下、本件交差点という。)にさしかかり、同交差点中央で交通整理中の観音寺警察署所属の司法巡査中田健二(以下、中田巡査という。)の南北進めの手信号に従つて、同交差点に南から北に向つて進入して左折しようとしたのであるが、同交差点付近は、おりから、会社員等の退社時と同日開催されていた観音寺競輪の終了時が重なつて、車両、自転車、歩行者等で交通が非常に混雑していたのであるから、そのような場合、被告松木としては、自車の左側を直進して同交差点を渡ろうとする自転車等の動静に十分注意し、安全を確認、確保しつつ左折進行すべき注意義務があるのに、これを怠り、漫然進行した過失により、別紙見取図<イ>点付近においておりから同交差点を南から北に向つて渡ろうとして自車左側前方を進行中の、原告運転の自転車(以下、原告車という。)後部に、自車の前輪泥除け部分を接触させて原告車をその場に転倒させたうえ、自車の左側前輪で、原告の右下肢大腿部を轢き、もつて、原告に対し、右下肢大腿切断の傷害を負わせた(以下、右交通事故を本件事故という。)。
(二) 被告香川県の職員である観音寺警察署所属の中田巡査、司法巡査糸川均(以下、糸川巡査という。)は、本件事故当時本件交差点において共同して交通整理を行つていたが、同人らは、同交差点付近の交通が非常に混雑し、車両等の接触事故が発生しやすい状況にあつたのであるから、同交差点を通行する車両、歩行者等の安全を十分確認、確保しつつ交通の整理を行うべき注意義務を負つていたものであり、とりわけ同交差点の南側道路からは、数台の自転車が道路西側を他の車両と並行して北進して来ており、同交差点を左折しようとする車両と直進しようとする自転車とによる接触事故の危険を予見しえたのであるから、これらの動静に注意し手信号もしくは警笛等で適切に誘導するなどして、事故発生を未然に防止すべき注意義務を負つていたものであるのにこれを怠り、同交差点中央の中田巡査が示す南北進めの手信号に従つて、原告が同交差点を自転車で南から北へ直進し始め、さらに松木車が北進し続いて左折をし始めたのにもかかわらず、漫然同人らの進行を指示したままで、同人らが接触事故を回避して安全に進行することができるような適切な措置を何らとることなく、さらに、中田巡査は、左折しようとする被告松木に対し、警笛を吹鳴し、同被告が一旦停車して「なんな」と尋ねたにもかかわらず、右手で左折を指示したか、もしくは左折の指示と誤解するような曖昧なしぐさをし、もつて同被告をして、そのまま左折しても事故発生の危険はないものと誤信させて漫然左折進行させた過失により、本件事故を惹起せしめ、よつて、原告に対し前記傷害を負わせるに至らしめたものである。
2 (被告らの責任)
(一) 被告松木は、前記1(一)のとおりの過失が存するのであるから、民法七〇九条により、
(二) 被告香川県は、本件事故は、前記1(二)のとおり同被告の警察職員である前記中田巡査及び糸川巡査の職務遂行中の過失によつて生じたものであるから、国家賠償法一条一項により
本件事故による原告の損害を各自賠償すべき責任がある。
3 (損害)
(一) 原告は、本件事故による前記受傷のため、香川県三豊郡豊浜町大字姫浜七〇八番地所在の三豊総合病院において、昭和四九年九月三〇日から昭和五〇年一二月三日までの四三〇日間入院して加療することを余義なくされた。
(1) 治療費
自動車損害賠償保険並びに労災保険よりすべて支払いされているので、請求しない。
(2) 入院慰謝料(二一〇万円)
原告は、前記のとおり大腿切断という重傷により、一四か月余の入院加療を余義なくされたのであるが、これを慰謝するには、その負傷の重大さからみて、昭和五二年一〇月一日の現価で、少なくとも月平均一五万円、合計二一〇万円が相当である。
(3) 入院雑費(二一万五〇〇〇円)
原告は前記入院中、昭和五二年一〇月一日の現価で少くとも一日平均五〇〇円、合計二一万五〇〇〇円の入院雑費を支出した。
(4) 付添看護料(四〇万円)
原告は、右入院期間中、ほとんどの期間、親族等による付添看護を受けたが、右付添看護によつて要した費用のうち、一日二〇〇〇円の割合による少なくとも二〇〇日分合計四〇万円は、昭和五二年一〇月一日の現価による損害である。
(二) 休業損害(一四三万八九〇三円)
(1) 原告は、本件事故のため、当時原告が勤務していた福助株式会社四国工場を、昭和四九年一〇月一日から昭和五一年六月二〇日までの六二九日間欠勤休業し、その間の得べかりし給与を失つた。
そして、原告の昭和四九年六月から同年八月までの間の給与額は合計二三万一九四四円であるから、本件事故当時、原告は、日曜・祭日等を含めた一日平均で少なくとも二五二一円の収入を得ていたことになる(但し、賞与は除く。)。
従つて、原告が休業した右六二九日間の賞与を除く給与合計は一五八万五七〇九円である。
(2) 原告は、前記会社から昭和四八年六月には一〇万四四〇〇円(当月の本給五万四四六四円)、同年一二月には一八万九七〇〇円(当月の本給は五万六九四〇円)の、年間で本給の約五倍以上の賞与を支給されているところ、前記の休業により、昭和四九年一二月、昭和五〇年六月及び一二月、昭和五一年六月の各賞与の全額の支給を受けることができず、これによつて失つた利益は、右各賞与支給時の本給が七万円を下回らないものであるから、合計七〇万円を下らない。
(3) 原告は、昭和四九年一〇月から昭和五〇年一一月までの間、労災休業補償として合計八四万六八〇六円を支給された。
(4) 従つて、原告の被つた休業損害は、昭和五二年一〇月一日の現価で、差引合計一四三万八九〇三円を下回らない。
(三) 後遺障害補償(一六三万円)
(1) 原告は、本件事故により右下肢大腿切断という自賠法施行令別表第四級相当の後遺障害を被つたが、原告は女子であり、年齢三〇歳の若さにしてこのように無残な被害を被つたものでその精神的損害は甚大である。また、原告は前記勤務先会社の配慮により、昭和五一年六月二一日から同社に再び勤務しているが、今後、前記後遺障害のために、会社勤務上は勿論、社会生活上、家庭生活上も多大の支障をきたし、このため少なからざる経済的利益を喪失することが十分予想される。
右後遺障害に伴う慰謝料並びに逸失利益をあえて金銭に評価するとすれば、昭和五二年一〇月一日の現価で八五〇万円を下らない。
(2) 原告は、昭和五〇年二月二七日、自賠責保険より、六八七万円を後遺障害補償として支給された。
(3) 従つて、これを差引くと、実損額は一六三万円である。
(四) 弁護士費用(五〇万円)
原告は、本訴提起にあたり原告訴訟代理人に対し手数料として一五万円を支払い、さらに、同代理人に対する報酬として請求認容額の一割相当額を支払うことを約したが、右弁護士費用のうち、少なくとも五〇万円は、本件事故により原告に生じた損害である。
4 よつて、原告は被告らに対し、各自前記損害額合計六二八万三九〇三円のうち六二八万円及びこれに対する昭和五二年一〇月一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。
二 請求原因に対する認否
(被告松木)
1 請求原因1(一)のうち、原告主張の日時場所において被告松木が原告主張のように本件交差点に進入し左折しようとしたこと、当時右交差点付近は交通が非常に混雑していたこと及び松木車と原告車が接触し、本件事故が発生したことは認めるが、被告松木に漫然進行した過失があつたとの点は否認する。
被告松木は、中田巡査の左折の指示に従い左折中本件事故が発生したものである。
すなわち被告松木は中田巡査の警笛を聞き一旦停車し、同巡査に対し「なんな」と声を掛け、安全運行指示を促したところ、同巡査は西方を向き右手を肩のところから前に出し、左折進行を指示したので、これに従つて進行したものであつて漫然と進行したものではない。但し、本件事故につき、無過失であつたとまで主張するものではない。
2 同3(一)ないし(四)は不知。
(被告香川県)
1(一) 請求原因1(一)は不知。
(二) 同1(二)のうち原告主張の日時場所において被告香川県の警察職員である観音寺警察署所属の中田巡査、糸川巡査が交通整理を行なつていたこと、当時本件交差点付近の交通が混雑していたこと及び中田巡査が本件交差点中央で手信号をしていたこと及び本件事故が発生したことは認めるが、中田巡査、糸川巡査に原告主張のような注意義務があつたことは争い、その余の事実はすべて否認する。
中田巡査は、本件交差点中央で道路交通法六条による手信号を行なつていたものであるから、その注意を個々の車両等の動静にではなく、全般的な交通の流れや交通量に向けるべき立場にあつたのであり、本件事故直前同巡査は東方を向いて南北進めの手信号を始めたものであつて、このようなとき南方からの左折車両に限定して特別の手信号もしくは警笛行為をしたとすれば、かえつて他の車両等の通行を阻害し、著しい交通混乱を招来したことが明らかであるから、右のような行為をなすべき注意義務があつたとはいえない。
次に、糸川巡査は、本件交差点西側の横断歩道(以下、西側横断歩道という。)付近について、中田巡査の手信号の効果を補完すべく、手信号が南北進めに変わつたのに即応して体を西方に正対させて同交差点への東進車両の停止措置に従事していたものであるから、これまた、南方からの左折車両に特別の注意を払うべき義務を有していたとはいえない。
また両巡査が本件事故の具体的危険を認識したのは、松木車が原告車に追突し、そのはずみで原告が転倒したときであつて、そのとき両巡査は直ちに「止まれ」と大声で叫び手をあげて松木車にかけ寄り被告松木の運行継続を阻止しようとしたのであるが、被告松木はこれに従わずそのまま進行して原告を轢過したものであり、当時右以上の結果回避措置を両巡査に期待することは不可能であつたのである。
2 同3(一)ないし(四)は不知。
三 抗弁
(被告松木)
本件事故については原告にも十分注意せずに漫然松木車の横を進行した過失があり、このことは、損害額の算定にあたり斟酌されるべきである。
四 抗弁に対する認否
抗弁は争う。
第三証拠〔略〕
理由
一 昭和四九年九月三〇日午後五時二五分ころ被告松木が本件交差点中央の中田巡査の手信号に従つて同交差点を左折しようとしたこと及び当時同交差点付近の交通が非常に混雑していたことは、原告と被告松木との間で争いがなく、また、当時被告香川県の職員である観音寺警察署所属の中田巡査、糸川巡査が本件交差点で交通整理を行い、中田巡査は交差点中央で手信号をしていたこと及び当時本件交差点付近の交通が混雑していたことは、原告と被告香川県との間で争いがなく、かつ本件事故が発生したことは、原告と被告両名間で争いのないところである。
二 右当事者間で争いのない事実並びに成立に争いのない甲第五号証の四ないし一三、証人中田健二(但し、後記措信しない部分を除く。)、同糸川均及び同太田利弘の各証言、被告松木本人及び原告本人の各供述を総合すれば、次の事実が認められる。
1 本件事故当時の本件交差点及びその周辺の概況は、別紙見取図記載のとおりであつて、同交差点には信号機は設置されておらず、同見取図記載の歩道と車道の境は小さな段差となつており、また、路面は平担なアスフアルト舗装という状況であつた。
2 当時本件交差点は、西方の競輪場から東進して来る競輪帰りの車両と、南方の工場等から北進して来る勤め帰りの車両とで非常に混雑していたが、このような混乱に対処するため従来から競輪の開催日には観音寺警察署の警察官三、四名が本件交差点で交通整理に当ることになつており、当日は、中田巡査、糸川巡査及び成行克夫巡査(以下、成行巡査という。)の三名がこれを実施していた。中田巡査は交差点中央に立ち、体を東に向け両手を南北に水平に広げて行う南北進めの手信号と体を北に向け両手を東西に水平に広げて行う東西進めの手信号とを交互に繰り返しており、また、糸川巡査は、西側横断歩道北端と別紙見取図A点付近との間を適宜移動しながら、中田巡査の手信号に対応して歩行者を誘導したり西方からの車両に停止を命じあるいは右折禁止を指示するなどし、成行巡査は、本件交差点南側の横断歩道(以下、南側横断歩道という。)の東端付近に立ち、中田巡査の手信号に対応して西方からの歩行者の保護誘導と東方からの左折車に対する規制を行つていたもので糸川巡査と成行巡査とは、中田巡査の交通整理の補助という立場であつた。
3 被告松木は、当時松木車(車高三・〇三メートル、車輪二・四六メートル、車長七・五五メートル、積載量一〇・二五トン)を運転して豊浜町方面から本件交差点を左折すべく北進してきたところ、中田巡査の手信号が東西進めに変わつたばかりであつたので、南側横断歩道の手前で軽四輪自動車一台の次に停車した。停車した自動車の列の左側には、自転車で通勤する女性達が縦に並んでおり、被告松木は、自車左前方へそのような女性四、五名が進んで行き、南側横断歩道の西端付近で信号待ちしているのを現認した。
やがて、中田巡査の手信号が南北進めに変わつたので、被告松木は、前記軽四輪自動車が直進したのに続いて時速約五キロメートルの速度で本件交差点内に進入し、車長を考えて交差点中央寄りにふくらんで左折を開始した。すると、まもなく中田巡査が「ピピーツ」と警笛を鳴らすのが聞こえたので、被告松木は自分への注意かと思い直ちに停車して中田巡査の方を見て「なんな(何だの意)」と尋ねたところ、これに対し中田巡査が右手で何らかのしぐさをしたが、被告松木は、それを中田巡査が進めの手合図をしたものと解して再発進した。その直後に被告松木は自車左前方で「コツン」という音を聞いたが、かまわず進行したところ、「ギヤーツ」という原告の悲鳴を聞き直ちに停車した。
4 他方、原告は、本件交差点南方にある工場での勤務を終え同交差点を直進すべく自転車で道路の左端部分を北進してきたところ、南側横断歩道にさしかかつたころ、ちようど前記のように中田巡査の手信号が南北進めに変わつたところであつたので、停車せずにそのまま本件交差点内に進入し、糸川巡査のいる西側横断歩道の近くを通つた方が安全と考えてやや西側に迂回して進行したところ、初め自車後輪に何か接触したような感じを受けたが、左側を見回しても危険を感じなかつたので、そのまま前進しようとしたところ、ペダルを一踏みするくらいの間をおいて、別紙見取図<イ>点付近で、背後から松木車に強く押されたためにハンドルをとられ、ふらつきながら約四メートル進んで転倒し、右足を道路中央に向けて投げ出した状態になつたところを松木車の左前輪に轢かれた。そして松木車は原告の右足が車輪の歯止めになつたような形で停車した。
5 中田巡査は、被告松木が本件交差点内で再発進して原告車に接触しそうになつたとき、大声で「止まれ」と叫び、糸川巡査もまた、前記の中田巡査の南北進めの手信号に応じて西側横断歩道中央付近において西方を向き東進してくる車両に対し停止合図を行なつた後、うしろを振り返ると、まさに松木車が原告車に接触しようとしていたので「危ない。止まれ。」と叫んだのであるが、被告松木は、これらに気付かず、そのまま進行して原告車に接触、これを転倒させたので、中田巡査、糸川巡査は、直ちに松木車に走り寄り、被告松木に後退を命じて原告を救出する措置をとつた。
以上の事実が認められる。
三 証人中田健二は、「本件事故発生時、自分は体を東に向け南北進めの手信号をしていたが、ふと右斜め後方(南西側)を振り返ると、松木車が原告車の後部に接触する寸前であつたので、直ちに被告松木の方を向き、右手を斜め前に上げ「危ない。止まれ。」と大声を発し、松木車を止めさせようとしたが、被告松木はこれに気付かず、そのまま進行して原告を転倒させ轢過したものである。従つて、自分が危険を発見してから原告が轢過されるまでの間に、被告松木が一旦停止をして自分の方を見たり、自分に声を掛けたりしたことはないし、また、それに対して自分が何らかの手合図をしたこともない。」旨本件事故発生直前の状況につき、一部、前認定に反する趣旨の供述をしている。
しかしながら、前記甲第五号証の四、同号証の一一ないし一三、被告松木本人の供述によれば、被告松木は、本件事故についての業務上過失傷害事件の被疑者として、事故直後になされた実況見分に立会つた際も、その後の警察官、検察官による取調べにおいても、また、本件公判廷における本人尋問においても、終始一貫して「自分が左折を開始してから交差点内で中央の警察官の笛の音を聞いて一時停止した。」旨供述し、また、交差点中央の警察官が被告松木に対し何らかの手のしぐさを示したということについても、それがいかなるしぐさであつたかの点を別にすれば、昭和四九年一〇月二日の最初の取調べのときから一貫してこれを供述していることが認められ、さらに成立に争いのない甲第五号証の三、証人太田利弘の証言を総合すれば、検察官送致の際の被告松木に対する被疑事実は、被告松木の過失の内容としては「交差点中央で交通整理中の警察官の動作に気を奪われて左前方の安全確認を怠つたまま同一速度で左折進行した」ことにあるとされており、右は捜査担当者である太田巡査においては、被告松木の前記供述に副つた心証を抱いていたことを窺わせるものであることが認められ、以上の事実に照らせば、前記証人中田健二の証言中前記認定に反する部分は、にわかに措信できないものといわねばならない。
そして、右認定のように、中田巡査が被告松木が一時停止する前に警笛を鳴らしたのは、中田巡査が、松木車が再発進して原告車に接触しようとしたとき大声で「止まれ」と叫んだ事実、原告が交差点内で初め自転車後部にかすかな接触感を受け、その後べダルを一踏みするくらいの間をおいて松木車と接触転倒した事実などからみて、同巡査が松木車との接触の危険を発見し、事故の発生を防止しようとしたからであると認めるのが相当である。
次に、一時停止して「なんな」と尋ねた被告松木に対し中田巡査が右手でいかなるしぐさを示したかが問題となるが、これについて被告松木の述べるところを検討するに、前記甲第五号証の一一(被告松木の司法巡査に対する昭和四九年一〇月二日付供述調書)には、「「なんな」とおらんで(大声を出す意)聞いたところ、警察官は進めの手合図をしたので発進し(た)」旨の供述記載、前記甲第五号証の一二(被告松木の司法巡査に対する昭和四九年一〇月二三日付供述調書)には、「「なんな」とおらんだところ(警察官は)右手を肩のところから前に出したので進めの手信号と思い発進した」旨の供述記載、前記甲第五号証の一三(被告松木の検察官に対する昭和四九年一二月二〇日付供述調書)には、「「なんな」と聞いたところ、その警察官は私の目から見ると右手を競輪場の方に向けて上から前下におろしたと見えたので、私はそのまま発進した」旨の供述記載がそれぞれあり、さらに、被告松木は当公判廷における本人尋問において、初め「「何ですかいな」と聞くと、警察官は斜め前に上げていた右手を体の横に下ろしたので進んでよいと思つた。」と述べ、あとで、「警察官は斜め前に上げていた右手を西の方向へ流すようにおろした」と述べているのであつて、以上により明らかなように被告松木の中田巡査の右手のしぐさに関する供述には変遷がみられるところである。
ところで、前記のとおり、中田巡査は松木車と原告車との接触の危険を発見して警笛を鳴らしたと認められるのであるから、中田巡査の右手のしぐさは、被告松木に左折進行を命じたりあるいは指示したりするものではなく、被告松木の進行を一旦制止する意図を有していたはずのものであつて、被告松木の前記各供述のうちでは、右手を肩のところから前に出したというしぐさが最もこれにふさわしい動作と思われる。そしてまた、被告松木の供述内容は、既に認定したように時の経過とともにいかにも中田巡査の右手が西方を指し示したかのように微妙に変化してきており、被告松木が、その供述をあえて、自己に有利なものとしてきた感があることをも合せ考えると、中田巡査の右手のしぐさは、被告松木に対し右手を肩のところから前に出すという動作であつたと認めるのが相当である。
証人藤沢恒男は、被告松木の同僚運転手であつて、中田巡査の被告松木に対する対応もしくは指示を、西側横断歩道の更に西方の地点で、車上から目撃したとして被告松木とほぼ同旨の証言をなし、右証言中には、中田巡査の手のしぐさについては、中田巡査は被告松木と短時間話したのち、「右手か左手かはつきりしないけれども、手を横に振つたように見えた」旨の供述部分があるが、この証言も、その内容を仔細に検討するとその細部に曖昧さがあつて、被告松木の供述同様、直ちに採用できないところである。
そして以上の諸点を除いては、第二項で認定した事実を覆えすに足りる証拠はない。
四 以上認定した事実関係を基礎に、便宜上まず原告の被告香川県に対する請求を判断する。
1 原告は、中田巡査及び糸川巡査には本件事故前に、本件交差点南方から直進する自転車と左折しようとする車両とが接触する危険を予見しえたのであるから、これらの動静に注意し適切に誘導するなどして事故を防止すべき注意義務があつたのにこれを怠つて本件事故を発生させたと主張するところ、前記認定のとおり、本件事故当時中田巡査は本件交差点中央で、糸川巡査は西側横断歩道中央部付近で、また成行巡査は南側横断歩道東端付近で、それぞれ前記のとおりの役割を分担して、共同で交通整理を行つていたものであるが、右各巡査の配置、役割分担自体に格別の落度があるとはいえず、また、前記のように、中田巡査の手信号が南北進めに変わつたのに応じて原告車が直進を、松木車が左折をそれぞれ開始したとしても、単にそれだけの事情をもつてしては、警察官の指示ないし誘導を必要とするほどの危険が現実に発生したと認めることはできない。けだし、交差点における直進車と左折車の接触事故は、本来運転者相互の安全確認によつて容易に防止しうべきものだからである。従つて、中田巡査、糸川巡査に、前記役割分担の範囲を越えて、特別に、直進車と左折車両の動静を注視し適切に誘導すべき義務があつたとはいい難い。
2 しかしながら、直進車と左折車との接触事故の危険が現実に発生し、これを交通整理中の警察官が認識した場合においては、当該警察官に事故の発生を防止するため可能な限り適切な措置をとるべき義務のあることは、警察の責務として個人の生命、身体の保護を定めた警察法二条の規定に照らしても明らかである。
これをまず中田巡査についてみると、中田巡査が松木車と原告車との接触の危険を発見し、被告松木に対し警笛を鳴らして一旦停止させたことは前記認定のとおりであつて、ここまでの中田巡査の行為に過失のないことは明白である。
次に前記のとおり同巡査は、一旦停止した被告松木に対し、右手を肩のところから前に出すしぐさをしたと認められるのであるが、この点に関し、原告は、同巡査は、被告松木に対し右手でもつて左折を指示したか左折の指示と誤解するような曖昧なしぐさをして、被告松木をして左折しても危険はないと誤信させ漫然左折進行させた過失があると主張するところ、前記のとおり中田巡査の右手のしぐさは被告松木を制止する意図をもつてなされたと認めるのが相当であり、また、客観的に同巡査の右手のしぐさのみをとらえてみても、それは、通常制止の表現とみなされる挙動であつて、左折の指示と誤認されるおそれのある動作とはいい難い。むしろ、被告松木が前記甲第五号証の一三(検察官に対する供述調書)において「一時停止した時間は、瞬間、一呼吸する間のことでした」と供述していること及び前記認定のとおり被告松木が再発進した直後に中田、糸川の両巡査が、大声で「止まれ」と叫んでもこれに気付かずそのまま原告を轢過したことに照らすと、被告松木が中田巡査の手のしぐさを誤解した原因は、自車左前方の原告車の存在に気付いていなかつたために同巡査が右手のしぐさで示した制止の意味を理解することができず、瞬間的に、先に聞いた警笛は自分に対して鳴らされたものではなく、自分はそのまま左折進行してもかまわないと判断したことにあると推測するのが相当である。
そうすると、中田巡査の右手のしぐさに過失ありとする原告の前記主張は採用できない。
なお、中田巡査については、一旦停止した被告松木に対し、単に右手のしぐさだけではなく、他の何らかの方法によつて危険を回避することが可能でなかつたかという点も問題になると思われるが、前記のとおり被告松木が一旦停車したのは瞬間的なものであつたこと、同巡査の本来の役割は交差点中央で手信号を行なうことにあつたことを考慮すると、同巡査が他の措置をとりえなかつたこともやむをえないというべきである。
そして、松木車が再発進したのちの同巡査の行為に過失のないことも前記認定事実より明らかである。
次に、糸川巡査は、前記のとおり西側横断歩道中央付近において西方を向き東進してくる車両に対し停止合図を行なつた後、後ろを振り返ると、松木車が原告車に接触しそうであつたので「危ない。止まれ。」と叫んだが、被告松木はこれに気付かず進行したものであつて、同巡査が危険を発見した後の行為に過失があつたとはいえない。
さらに、中田、糸川の両巡査については、その余の点に関しても安全確認義務に反する過失を認めるべき証拠はない。
3 以上に認定、断定したとおりであつて、中田巡査または糸川巡査に過失があつたとは認められないから原告の被告香川県に対する請求はその余の点につき判断をなすまでもなく失当であつて排斥を免れない。
五 次に、原告の被告松木に対する請求につき判断するに、前記認定事実及び後記六(一)の事実によれば、本件事故当時被告松木は中田巡査の手信号が南北進めとなつたのに応じて本件交差点南側の停止線の手前から軽四輪自動車一台をおいた位置から、同交差点を左折すべく発進したのであるが、被告松木は、そのとき、自車前後の自動車の列の左側及び南側横断歩道の西端付近に、信号待ちをしていた数人の自転車の女性がいることを知つていたのであるから、同交差点を左折するにあたつては、自車の左側を直進しようとする自転車の動静に注意し安全を確認しつつ左折進行すべき注意義務を負つていたにもかかわらず、原告が南北進めの手信号になつたとともに南側横断歩道の西端付近から本件交差点内に進入し、松木車の左前方においてやや西寄りに迂回して北進しようとするのに気付かず、そのまま左折進行した過失により別紙見取図<イ>点付近において原告車の後部に自車左前部を接触させて原告を転倒させ、左前輪で原告の右下肢を轢き、もつて原告に対し右下肢大腿切断の傷害を負わせたことが明らかであつて、被告松木には、本件事故により原告に生じた損害を賠償する責任があるというべきである。
被告松木は、過失相殺を主張するが、前記のとおり、原告は本件交差点を北進すべく、交差点内において、左折しようとする松木車の左前方を進行していたものであるから、松木車に優先して進行しうる関係にあつたもので、原告の存在に気付かなかつた被告松木の過失は重大であり、右事実関係のもとでは原告には過失相殺として斟酌さるべき過失は存しないというべきである。
よつて、被告松木の過失相殺の抗弁は採用できない。
六 そこで、原告の損害につき検討する。
(一) 成立に争いのない甲第一号証及び原告本人の供述によれば、原告は本件事故により右下肢挫滅創の傷害を受け、そのために右大腿切断を余儀なくされたものであつて、香川県三豊郡豊浜町所在の三豊総合病院に昭和四九年九月三〇日から昭和五〇年一二月三日までの四三〇日間入院してその治療を受けたことが認められる。
(1) 原告の受けた傷害の部位、程度、入院期間を考慮すると、入院中の慰藉料は一七〇万円と認めるのが相当である。
(2) 入院雑費
原告の入院中の雑費としては一日につき少くとも五〇〇円を要したと認めるのが相当であり、右金額に前記入院日数四三〇日を乗ずると、二一万五〇〇〇円となる。
(3) 付添看護料
原告本人の供述によれば、原告は右入院期間の初めの二日間は姉の付添看護を受け、その後二か月程家政婦の付添を受け、これに二〇万円強を支払つたことが認められる。
そこで、姉の付添看護費用を一日二〇〇〇円と評価し、本件事故による付添看護料は、合計二〇万四〇〇〇円と認めるのが相当である。
(二) 休業損害
(1) 成立に争いのない甲第二号証、原告本人の供述及び弁論の全趣旨によれば、原告は前記受傷のため、勤務先である福助株式会社四国工場を昭和四九年一〇月一日から昭和五一年六月二〇日までの六二九日間欠勤休業し、その間の得べかりし給与を失つたのであるが、原告の昭和四九年六月から同年八月までの間の平均日給額(但し、賞与を除く。)は、二五二一円であることが認められるから、右金額に前記休業日数六二九日を乗じた一五八万五七〇九円が賞与を除いた休業損害というべきである。
(2) 前記甲第二号証、成立に争いのない甲第三号証及び原告本人の供述によれば、原告が昭和四八年六月及び同年一二月に支給を受けた賞与合計額は、当時の本給の五倍を上回つていたところ、原告は、前記休業のために賞与としては、昭和四九年一二月に一〇万円を受給したのみで、昭和五〇年六月、同年一二月、昭和五一年六月には全く賞与の支給を受けることができなかつたこと、右各賞与支給時の本給はもし原告が稼働していたならば、七万円を上回る額になつていたことが認められる。
従つて、少なくとも
7万円×5(倍)×2(年)-10万円=60万円
が休業によつて受けることができなかつた賞与の額というべきである。
(三) 後遺障害補償
原告本人の供述によれば、原告は本件事故当時二九歳の女子であり、右大腿切断という自賠法施行令別表第四級相当の後遺障害を被つたこと、また、原告は、前記勤務会社の配慮により昭和五一年六月二一日から同会社に再び勤務しているが、これについては免許を取得して自動車で通勤するなど幾多の障害を克服するために、並々ならぬ苦労を重ねていることが認められ、また今後も前記後遺障害のために会社勤務上は勿論社会生活上、家庭生活上も多大の支障をきたし相当の経済的利益を喪失することは想像に難くないところである。
右後遺障害に伴う慰籍料及び将来の逸失利益を金銭に評価すると、原告主張のとおり八五〇万円を下らないと認めるのが相当である。
(四) 控除
原告が昭和四九年一〇月から昭和五〇年一一月までの間に労災休業補償として合計八四万六八〇六円の支給を受けまた、昭和五〇年二月二七日自賠責保険から六八七万円を後遺障害補償として支給を受けたことは、いずれも原告の自認するところである。
右の合計額七七一万六八〇六円を、前記損害の合計額一二八〇万四七〇九円から控除すると、五〇八万七九〇三円となる。
(五) 弁護士費用
原告が弁護士である原告訴訟代理人に本件訴訟追行を委任したことは訴訟上明らかであつて、本件事案の性質、審理の経過、認容額等に照らし、原告が被告松木に対し支払を求めうる弁護士費用の額は五〇万円と認めるのが相当である。
七 以上のとおりであつて、原告の被告松木に対する本訴訟請求は、以上の損害の合計額五五八万七九〇三円及びこれに対する本件事故後である昭和五二年一〇月一日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、被告松木に対するその余の請求及び被告香川県に対する本訴請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 村上明雄 田中哲郎 林秀文)
別紙 見取図
<省略>